刃物のお話
2025.04.25
関刃物鍛冶工場が剪定鋏を作るようになった経緯

(⇧最も初期のころに作った鋏)
当工場では、津軽剪定鋏を長年愛用してきた果樹園の方から突然言われた、「あんた鋏作ってみる気ないか?」の一言で鋏造りがスタートしました。その当時、私は鋏の修理こそ承っていたものの、一から鋏を作ってお客様にお渡しした経験はなく、ましてや平べったい刃物を専門的に作っていたことから果たして上手いこと作れるかどうか、心底悩みながら、試しにやってみますとお答えしました。
この頃はちょうど日本でコロナウイルスが流行り始めたあたりで、外出してはいけない風潮だったからか私のところにも遠方のお客さんはほとんど来なくなり、その後一時のレジャーブームがありましたが、新規参入のアウトドア業者が多く乱立して私のような宣伝が下手な鍛冶屋は陰に隠れてなかなか買ってもらえないようになっていました。そんなところに舞い込んだ話でした。
鋏っぽい格好はしているけど非常に格好の悪い出来栄えで、ネジもただのボルトをそのまま突っ込んだだけの今になって振り返ればお粗末なものでしたが、なぜかこの初期の鋏は故障もなく普通に使えてしまったことが後々苦戦を強いられる原因になります。
鋏のことを勉強していくうちに、ネジも市販の六角ボルトの半ネジの部分を使って左ネジを作ってみたり、すり合わせを意識しすぎておかしくなったり、とにかく苦戦した記憶しかありません。
出来上がったものを少し修理するのと、まったくゼロの状態から作るのとでは次元が違うと言いましょうか、鋏は鋏鍛冶という専門職がある意味がこのとき理解できましたが、ここで諦めていたら今どうなっていたかわかりません。

(⇧故障に悩まされていた時期の鋏)
とある日、別の果樹園さんから是非鋏を打ってほしいと依頼されました。「市販品でも全然いいんだけど、やっぱり本当の手打を使いたい。できれば地元の鍛冶屋で!」と切実な依頼を受け、また自分流の鋏を作ってお納めしました。しばらくして、地元のりんご畑に剪定を見に来ないか?と言うことで早速お邪魔したところ、たくさんの果樹農家さんがお集まりになっており、私の鋏に対して忖度のないご意見を直接伺って、青森の方から見本として薬師堂国定の鋏を2丁お借りしました。これが私の鋏造りが加速していくきっかけになりました。
当時、私は普通の刃物の製法を応用して地金に鋼を接合した鋼付構造で焼き入れなども一般に刃物として使うのに丁度よい塩梅でやっていました。でも現実は全く違っていました。
切れ味だけはすこぶる良い、でも数日でポロポロ欠けて使い物にならない、これが当時の鋏です。2枚の別な刃が擦れ合う鋏では、普通の刃物のやり方は通用しないということ。そして何より重い。完全にスランプに陥っていました。そこで見本にお借りした薬師堂を握ってみますと非常に軽いけれど剛性感があって、手触りや握り心地の良さ、枝に食らいつく感覚に私は身震いしてしまいました。
その薬師堂国定の鋏をお借りしてから、使える鋏を作れるまでに3年の時間を費やしました。試作をしては果樹園さんへお願いしてテストをしてもらう。2~3日すると無残に壊れて帰ってくる。最初の1年くらいはその繰り返しでしたが次第に噂はどんどん広がって、まだちゃんとした製品になっていないのに色々なところから注文が入るようになり、しかも皆さん薬師堂国定や独狐を愛用している人ばかりで、本当に大変な仕事に足を突っ込んだなと思いました。

(⇧全鋼打ちっぱなし「石野」第2号)
続けていると良い出会いがあるもので、知っている農家さん経由ですでに私の下手な鋏を持っておられる方と知り合います。薬師堂も含め大変鋏について研究されている方で、私が知らなかった鋏の知識をたくさん授けてくださいました。また、ほかの果樹園さんでも「これ見て頑張って鋏を作ってくれるなら!」と言って大切に保管していた鋏を見本に提供してくれる方がどんどん増えていました。
その皆さんと出会ってから、私は全鋼で鋏造りを開始します。とにかく刃こぼれを軽減させることに重点を置いて材料や焼き入れも鋏専用の方法を研究しました。全身が鋼になったことで軽量化しても頑丈になり、この頃に左ネジでの組付けもやめて右ネジ裏ナット付に変更しています。色々とお付き合いをしているうちに、歴史ある津軽の鋏にも左ネジが緩くなるという弱点が見えてきて、しかも作者がいないとそのネジすら修理困難だという問題があったからでした。「鋏というものは左ネジなんだ!!」とお𠮟りを受けることもありましたが、今では100%右ネジで製作しております。
私は作った品物の表に「石野」の銘を打ちますが、鋏には打っていませんでした。お金を頂戴する自信がまだなかったからです。試作開始から3年が経過するころ、やっと思い通りに作れるようになってきて、「完全打ちっぱなし」の鋏も打ち始めました。「この鋏は壊れないし使いやすい」と評価をいただき、最初に薬師堂を貸してくれた方からも「これなら売っても大丈夫」と後押しをいただき、足掛け3年でようやく「石野」と銘打った鋏を販売し始めます。
まだまだ納得できてない部分もありますが、一生勉強の積み重ねなのだと思っております。
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